〈はじめに〉 この文章はいちアーティスト(美術)、いち美大生によるコメントです。現場を知る者の証言としてサポーターコミュニティに寄せたものを、トキヒロさんの意向から、注釈として載せさせていただくことになった経緯です。
・作品と批評 作り手としての目線です。作品と批評は全く異なります。作品は言語しか扱えない批評(本)とは異なり、あらゆる美術的手段を取る事が出来ます。「腑に落ちる感覚」は必ずしも、論理的納得を必要としません。アートは美術的手段を利用しながら納得させるゲームであるやに思えます。この度合いを美術の教育現場では「説得力」といい、例えば「この素材に対しては鉄よりもアルミの方が作品の主題に接続するので説得力がある。」などといいます。 アートは言語から語ってしまうと論理ゲームのように見えますが、制作現場においてそれは説得ゲームであり、そもそも批評家とアーティストではかなり見え方が違うと思います。つまり入門書を書いている批評家(のような人々)が如何にアートの議論に精通しようとも、そこでの議論とはあくまでアートの一側面である事は頭の片隅に入れる必要があるのかなと思います。 有名どころで言えば、クレメント・グリンバーグという人が絵の具を飛ばした絵を描く人(ジャクソン・ポロック)を批評して、抽象絵画の価値を称揚しました。ところが、ポロックはグリンバーグの指示に従って絵を描いてはいませんし、共作したわけでもありません。基本的に批評は作品に対し、事後的ですし、その説明は如何に筋が通っていようとも、100%正しい物には成り得ないはずです。 それは作品が言語世界とは異なり、現実空間で構成されるからです。理想通りにそれが実現し、今目の前に起きた事を完全に把握しながら説明する事はどこまで可能なのでしょうか。
・芸術の終焉以後 今回の動画は一側面では正しく、一側面では正しいとは言い難いアートの解釈が解説されています。「アートの歴史」としては正しい内容ですが、「現在、アートで行われている事」としては正しいとは言い難いです。 1984年、アーサー・ダントーは「芸術の終焉」を提唱しました。ここで言う芸術とは、「皮肉と批判的拡張の応酬であるモダンアート」の事です。我々はそれが終焉したと告げられた後に生きています。ダントーはモダンアートが終了した後の芸術を。「自己定義が終わった後の芸術」と表現します。そこにおいて重視されるのは「アートとは何か?」という問いよりも「アートを如何に使うか?」という問いです。 しかし、ポストモダン以降の時代もアートの定義に関する話が終わったわけではなく、ある側面においてそれは続けられています。それは「皮肉が成り立たない世界において如何に皮肉を成り立たせるか」という戦いです。皮肉をすること、批判的拡張をする事を批判し、禁じ手にした現代のアートの世界では最早皮肉が成り立ちません。その上でどうするか、が問われています。 ここでは詳細は割愛しますが、特に2022年のドクメンタ15(世界的な芸術祭)以降ではほんとうの意味で「中心がない(つまり、攻撃対象がない)時代」の事を全アート関係者が考えなくてはならない時代にあると思います。
・関係性の美学と人工地獄 1998年、二コラ・ブリオーは『関係性の美学』という本を出しました。それは同時代に行われていたアートの実践であるリレーショナル・アートについて論じたものです。これはそれまでのアート作品のように、作家が作ったものを鑑賞者が見るのではなく、とあるものともの、とある人と人、とある関係それ自体を作品として扱うものです。 これに対し、クレア・ビジョップは2004年の『敵対と関係性の美学』や、2012年の『人工地獄』にて攻撃をしています。ビジョップはブリオーのように理想化された「関係」を論じるのではなく、不快さや緊張感から関係を論じます。彼らのしている議論は作品の成立以前の話です。「皮肉と批判的拡張」という態度は作品が成立するかどうかという点に重点がおかれていますが、これらの議論は作品を成立以前に差し戻し、必要条件を炙り出そうとしているやに見えます。 『関係性の美学』の日本語出版は2023年、『人工地獄』の日本語出版は2016年です。いずれにしてもこれらの議論が日本に来るのは遅く、それを踏まえないままに論じられている事は散見されます。
以下は『関係性の美学』の抜粋です。 「新しさはもはや価値判断基準ではない。(中略)展覧会では、たとえそれが不活性な形式であっても、即時的かつ無媒介的な議論が可能なのだー我々は他者と同一の時間と空間を知覚し、語り、移動する。アートは固有の社会的行動を生産する場所なのである。(中略)我々にとって芸術作品は、その商品的性格や意味論的価値を超え、社会の間隙を表象するものである。」 (『関係性の美学』著・二コラ・ブリオー. 訳・辻憲行. 水声社. 2023年. 21~28P)
・「現在の」アート アートが父親殺しをしてきた事は歴史的事実です。しかし現在の挑戦的な展示や作品がそうかと言われると必ずしもそうではありません。1990年代以後のアートを見ようとすれば、やはり「皮肉と批判的拡張」という視点だけではカバーしきれないものが多くあると思います。
学びを深めるにあたってオススメの本
〇『西洋美学史』小田部胤久
https://amzn.asia/d/0d5U4Hdd 〇『日本・現代・美術』椹木野衣
https://amzn.asia/d/00aMzF7A 〇『みんなの現代アート: 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために』グレイソン・ペリー
文章:サポーター美大生
内容確認協力/ 本の紹介:美大生・三田航平, 美大生・イチノタイチ